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これだけ!世界史

キリスト教の誕生

 ここでは、キリスト教の誕生について扱います。キリスト教がどのようにして、ヨーロッパに広まったのか、という観点から勉強していきましょう。

 ローマ帝国の誕生からしばらく後に、イエスが生まれます。イエスは、パレスチナに生まれたので、ユダヤ教徒でした。しかし、ユダヤ教は非常に律法を重んじており、形式主義に陥っていると非難しました。また、ユダヤ教はユダヤ人(ヘブライ人)だけが神(ヤハウェ)からの救いを受けると考える選民思想の宗教であり、イエスはユダヤ教の選民思想にも懐疑的でした。そこで、イエスは、無差別に人を愛するという、隣人愛の思想を説きます。

 しかし、ユダヤ教徒は、イエスの思想を受け入れることができず、イエスは処刑されてしまいました。一方で、イエスの弟子の、使徒が熱心に布教を行い、徐々にイエスの教えはローマ帝国内に伝播していきます。使徒たちによってイエスの言行録などをまとめたものが、キリスト教の聖典『新約聖書』です。
 例えば、パウロはユダヤ教徒でありましたが改宗してキリスト教の布教を行いました。また、ペテロはローマでの布教を行なっており、初代のローマ教皇であるとされています。

ペテロ
Peter Paul Rubens, Public domain, via Wikimedia Commons
ペテロ

 しかし、初期のキリスト教はローマ皇帝の迫害を受けることになります。五賢帝より前の時代の皇帝、ネロ帝は、ペテロやパウロを処刑したとされています。また、ドミナトゥス(専制君主制)を行なったディオクレティアヌス帝も、キリスト教を迫害しました。迫害を受けた理由は、キリスト教もユダヤ教同様一神教であったため、ローマ皇帝を神として崇拝することを拒否したためです。
 こうした迫害から逃れるために、カタコンベとよばれる地下礼拝所での礼拝を行いました。

キリスト教徒迫害の様子
ジャン=レオン・ジェローム「キリスト教殉教者最後の祈り」

 しかしキリスト教は迫害を行っても、信徒数は急増し、止めることができなくなります。そして、コンスタンティヌス帝が、ミラノ勅令によってキリスト教を公認しました。
 また、コンスタンティヌス帝は、ニケーア公会議によってアリウス派を異端とし、アタナシウス派を正統としました。

 その後、テオドシウス帝によってアタナシウス派キリスト教が国教化されました。こうして、ヨーロッパ中でキリスト教が信仰されることになります。

 ローマ帝国分裂後には、エフォソス公会議によって、ネストリウス派が異端とされました。ネストリウス派はアジアで広まっていくことになります

確認問題

波線部を、PCであればカーソルを合わせる、スマートフォンであればタップすることで答えが表示されます。

  1. ペテロは、ネロ帝のキリスト教徒迫害によって殉教した。
  2. テオドシウス帝はキリスト教を国教化した。