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これだけ!世界史

古代ギリシア

 ギリシアでの、都市国家の誕生から、ヘレニズム時代までを扱います。また、古代ギリシアは、どのように民主化が行われたかということを抑えておくようにしましょう。

 まず、ギリシアでは、エーゲ文明という文明が生まれました。エーゲ文明は、クレタ文明ミケーネ文明という2つの文明から構成されています。クレタ文明は、クレタ島のクノッソスを中心とした文明で、開放的な文明でした。またクノッソスの遺跡を、エヴァンズが発掘した、ということも覚えておきましょう。
 一方で、ミケーネ文明は、ギリシア本土、ペロポネソス半島のミケーネを中心とした文明で、交戦的な文明でした。ミケーネ文明では線文字Bが使用されていましたが、ヴェントリスによって解読がなされました。また、ミケーネ文明は、シュリーマンによって発見されました。混同しないようにしておきましょう。

クノッソスとミケーネ
クノッソスとミケーネ

 その後、ギリシアではアテネスパルタのようなポリス(都市国家)が誕生します。アテネでは、直接民主政の制度がととのえられていきます。
 まず、ドラコンによって、慣習法(不文法)が成文化されました。次に、ソロンは債務奴隷を禁止し、財産額に応じた参政権の付与(財産政治)を行いました。その後には、ペイシストラトスが独裁的な僭主政治を行い、民主政は停滞します。これを受け、ペイシストラトス陶片追放という制度により、僭主の出現を抑止しました。この辺りの知識は、しっかり整理しておきましょう。

 ギリシアの人々は、アナトリア半島に、イオニア植民地を建設していましたが、アケメネス朝の支配下にありました。イオニア植民市がアケメネス朝の支配に反抗し、アテネがそれに協力したことから、ペルシア戦争が勃発します。
 マラトンの戦いサラミスの海戦プラタイアの戦いでアテネ側が勝利したことでイオニア植民市が独立し、ペルシア戦争はアテネ側の勝利で終わりました。

ペルシア戦争
ペルシア戦争

 その後、アテネを中心とするデロス同盟と、スパルタを中心とするペロポネソス同盟との間で、ペロポネソス戦争が勃発します。この戦争によりギリシア諸国は大変疲弊します。そこを狙って、ギリシアを支配したのがフィリッポス2世率いるマケドニア王国です。フィリッポス2世は、ギリシア諸国を支配すると、コリントス同盟を結成しました。

 フィリッポス2世の死後にマケドニアの王になったのが、アレクサンドロス大王です。彼は、イッソスの戦いでアケメネス朝を破り、オリエントを統一することに成功します。また、各地にギリシア風の都市アレクサンドリアを建設しました。特にエジプトのアレクサンドリアが非常に有名です。こうした、オリエントの文化とギリシア文化の融合をヘレニズムといいます。
 しかし、病気でアレクサンドリアが亡くなると、後継者(ディアドコイ)争いにより、各地に王国が分立します。ギリシアやマケドニアを支配したのがアンティゴノス朝、西アジア一帯を支配したのがセレウコス朝、エジプトを支配したのがプトレマイオス朝になります。それぞれの王朝の名前は忘れないようにしておきましょう。
 また、これらの王朝は、ローマによって滅ぼされることになります。

ヘレニズム3国
ヘレニズム3国

確認問題

波線部を、PCであればカーソルを合わせる、スマートフォンであればタップすることで答えが表示されます。

  1. クレタ文明は、開放的な文明である。
  2. ヘレニズムは、ギリシアの文化とオリエントの文化が融合したものである。