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これだけ!世界史
古代メソポタミア
まず、今のエジプトからイランに至るまでの地域をオリエントと言います。古代オリエントは、民族がたくさん出てくるので、そこをしっかり押さえるようにしましょう。また、古代オリエントではどういった国が存在していたか、ということも答えられるようにしておきましょう。
- オリエントの場所
そして、オリエントのなかでも、今のイラクの地域で、ティグリス川とユーフラテス川周辺の地域をメソポタミアといいます。メソポタミアは灌漑農業が始まった地域です。灌漑農業とは、簡単にいうと人工的に水路をつくって農業を行うというものです。これによって多くの地域で農業が行われるようになり、人口の増加につながりました。
- メソポタミア
最初にメソポタミアで文明を築いたのはシュメール人です。彼らは、ウル、ウルク、ラガシュといった都市を築きました。シュメール人の文明では太陰暦が使用されました。これは、月の満ち欠けをもとにつくられた暦になります。また、彼らは記録を行うために、楔形文字を使用しました。文字の形や特徴も覚えておくようにしましょう。
- 楔形文字
シュメール文明のしばらく後に現れたのが、アムル人です。アムル人は、バビロン第一王朝という国家をつくりました。バビロン第一王朝は、ハンムラビ王のときに最盛期となりました。また、ハンムラビ王は、「目には目を、歯には歯を」という同害復習法で有名なハンムラビ法典をつくりました。
バビロン第一王朝は、小アジア(今のトルコ)を拠点としていたヒッタイトによって滅ぼされました。ヒッタイトは、鉄製武器を使用していたことで知られています。
その後、オリエントを初めて統一したのが、アッシリアです。アッシリアは異民族に対して厳格な支配を行い、異民族からの抵抗にあい崩壊し、メディア、リディア、新バビロニア、エジプトという4つの王国に分立します。そして、アケメネス朝ペルシアによってオリエントが再び統一されることになります。リディアは、歴史上初めて金属貨幣を鋳造したことで知られています。
- William Robert Shepherd, Public domain, via Wikimedia Commons
- 右上から時計回りに、メディア、新バビロニア、エジプト、リディア
確認問題
波線部を、PCであればカーソルを合わせる、スマートフォンであればタップすることで答えが表示されます。
- 太陰暦は、月の満ち欠けをもとに作成された暦である。
- ハンムラビ法典には、「目には目を、歯には歯を」という同害復習法の原則が存在する。