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これだけ!世界史
古代ペルシア
このチャプターでは、アケメネス朝からササン朝にかけてのペルシア(現在のイラン)の歴史をみていきます。それぞれの王朝の特徴と、ペルシアの宗教にも目を向けて学習していきましょう。
以前学習したように、アッシリアが滅ぼされた後に、ペルシアにはメディアという国がありました。そして、メディアを滅ぼし、オリエントを統一したのがアケメネス朝です。アケメネス朝は他民族に対して寛容であり、新バビロニアによって捕囚されていたヘブライ人を解放しました。
アケメネス朝は、ダレイオス1世のときに最盛期を迎えました。まず、彼は王宮をベルセポリスに建設しました。また、彼は、地方を統治している地方官であるサトラップを監視するための役職として、王の目、王の耳を置きました。それだけでなく、ダレイオス1世は、王の道と呼ばれる長距離の道路を建設した、ということも覚えておきましょう。
- Map of the Achaemenid Empire.jpg: William R. Shepherdderivative work: Rowanwindwhistler, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons
- アケメネス朝の領土と王の道
また、アケメネス朝では、ゾロアスター教が保護されていました。ゾロアスター教は、世界の終末に、最後の審判が行われると説いています。これは、ユダヤ教やキリスト教などの一神教に影響を与えることになります。
以上アケメネス朝を概観してきましたが、アケメネス朝はギリシアのアレクサンドロス大王によって滅ぼされ、ペルシアの地は、ギリシア風の王朝であるセレウコス朝の支配を受けます。その後、セレウコス朝から独立し、ペルシアを支配するようになったのがパルティアです。しかし、パルティアもローマとの戦いによって疲弊し、ササン朝によって滅ぼされることになります。
- Kaiser&Augstus&Imperator, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons
- パルティアの領土
ササン朝は、ローマ帝国や、東ローマ帝国(ビザンツ帝国)と対立しながら統治が行われていきます。そして、ホスロー1世のときに最盛期を迎えることになります。ホスロー1世は、トルコ系遊牧民である突厥と結び、ペルシアに侵入してきた遊牧民のエフタルを滅ぼすことに成功しました。それぞれの遊牧民の名前を混同しないようにしましょう。
次に、ササン朝の文化について見ていきましょう。ササン朝では、マニによってマニ教が創始されました。マニ教は、ゾロアスター教、仏教、キリスト教の教義を参考にして誕生しました。マニ教は、ローマ帝国や中国などにも伝播していきました。
ゾロアスター教は、ササン朝のときに国教化され、国家による厚い保護を受けることになります。また、ササン朝のときにゾロアスターの教典である『アヴェスター』が完成します。
- Kaiser&Augstus&Imperator, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons
- ササン朝の領土
しかし、ササン朝による支配も、イスラーム教徒がニハーヴァンドの戦いに勝利したことにより、終焉を迎えます。
確認問題
波線部を、PCであればカーソルを合わせる、スマートフォンであればタップすることで答えが表示されます。
- ゾロアスター教は最後の審判という終末論を説いたことで知られている。
- ホスロー1世は、突厥と結びエフタルを滅ぼすことに成功した。