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これだけ!世界史
清王朝
ここでは、主に清の時代について学習します。特に、それぞれの皇帝が何を行なったかが重要です。
まず、ヌルハチという、女真族の人物が中国東北部に後金という国家を樹立しました。ヌルハチは八旗という軍を組織しました。一方漢人だけの軍隊緑営も組織され、治安の維持にあたりました。その後、ホンタイジによって国号が清と改められました。
清が李自成を倒すことに成功すると、北京を都として中国一体を支配することに成功します。ただし、明の家臣であった鄭成功が台湾に逃れ、抵抗を続けました。
- Albert Herrmann, Ph.D., Public domain, via Wikimedia Commons
- 清の領土
康熙帝の治世では南部の藩王と呼ばれる将軍たちによって三藩の乱が勃発しますが、康熙帝はこれを弾圧することに成功します。さらに、鄭氏が支配していた台湾も征服しました。
また、康熙帝のときには、納税方法として地丁銀制を採用しました。これは、人頭税を土地税に組み込み、人頭税と土地税を一括で銀納できるようにしたものです。
外交的には、ロシアのピョートル1世とネルチンスク条約を結びロシアと中国の国境を画定しました。
また、キリスト教が中国で普及される中で、イエズス会は孔子や先祖の崇拝を認めましたが、それを認めないキリスト教勢力もいました。このことを典礼問題といいますが、康熙帝は、イエズス会以外がキリスト教を布教することを禁じることで典礼問題を解決しました。
- CIA, Public domain, via Wikimedia Commons
- 赤い線がネルチンスク条約で定められた国境線
その次の雍正帝のときには、キリスト教の布教を禁止しました。また、軍機処を設置し、国内政治を担わせました。
その次の乾隆帝のときには貿易港を広州のみに制限しました。そして、公行という役職を設置し、貿易の統制を行わせました。また、ジュンガルという民族を征服し、ジュンガルが生息していた地域を新疆として支配しました。また、こういった漢人以外が多く生息しており、清王朝の直轄地でない場所は藩部と呼ばれ、理藩院という機関によって統治されました。
- 新疆
清では、辮髪(べんぱつ)という髪型が漢人に対しても強制されました。さらに、文字の獄によって言論弾圧を行いました。
確認問題
波線部を、PCであればカーソルを合わせる、スマートフォンであればタップすることで答えが表示されます。
- 緑営は漢人だけの軍隊で治安維持にあたった。
- 地丁銀制は人頭税を土地税に組み込み一括で銀納させるものである。