Home >> これだけ!世界史目次 >> 宗教改革
これだけ!世界史
宗教改革
ここでは宗教改革を扱います。カトリック教会がなぜ批判され、新教がどのように誕生し、それぞれの国でどのように受容されたのか、という視点を持つことがここでは重要です。
まず、教皇レオ10世が、サン=ピエトロ大聖堂の改築資金を確保するため、贖宥状(しょくゆうじょう)の販売を行いました。贖宥状を買うことで現世での罪を償うことができるとされました。
- サン=ピエトロ大聖堂
しかし、贖宥状の販売は聖書に反する行動であるとしてマルティン=ルターの「九十五ヶ条の論題」によって批判されました。ルターの贖宥状への批判から、宗教改革が始まります。以降の、宗教改革によって誕生するカトリックに対する改革派のことを、プロテスタントと呼びます。これはカトリック教会に対してprotest(抗議)する者という意味です。プロテスタントのうち、ルターの一派のことをルター派と呼びます。
当時の神聖ローマ皇帝カール5世はヴォルムス帝国議会でルターを追放しますが、ザクセン選帝侯の保護を受け、『新約聖書』のドイツ語訳に成功します。
また、ルターの思想に影響を受け、ドイツの農民が農奴制の廃止を求めてドイツ農民戦争を起こします。当初ルターはこれに同情的でしたが、農民たちの行動が過激化したのを受け、これを批判するようになります。
- Workshop of Lucas Cranach the Elder, Public domain, via Wikimedia Commons
- ルター
こうした流れを受け、アウクスブルクの宗教和議によって、神聖ローマ帝国の諸侯はルター派を信仰できるようになりました。ただし、これは個人に信仰の自由を認めたわけではなく、都市や領邦ごとにカトリックを維持するのかルター派を受容するのか、という点が決定されていたことに注意しましょう。また、アウクスブルクの宗教和議において全てのプロテスタントの信仰が認められたわけではなく、カルヴァン派の信仰は認められませんでした。
- プロテスタントの伝播
カルヴァン派とは、スイスのジュネーヴでカルヴァンによって創始された宗派です。カルヴァン派は予定説を説き、人が救済されるかは神によってあらかじめ定まっているとする一方で、自分が救済されるかどうかということを知るために天職(神から与えられた職業)を誠実にこなすべきだとしました。社会学者マックス=ウェーバーは『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』という書物で、この天職という考え方によって蓄財が行われ産業革命がヨーロッパで行われたと主張しました。
また、カルヴァン派は長老主義の考え方をとっており、長老(信者の代表者)と牧師(プロテスタントの聖職者)によって教会を運営します。
加えて、カルヴァンはジュネーヴで神権政治を行っていたということも覚えておきましょう。
カルヴァン派は蓄財を肯定しているので、各国の商工業者に受容されます。カルヴァン派は、ネーデルラントではゴイセン、フランスではユグノー、イギリスではピューリタンと呼ばれました。
- Flemish school (UnknownUnknown ), Public domain, via Wikimedia Commons
- カルヴァン
各地で宗教改革が行われる一方で、カトリック教会も体制強化を行おうとします。これを対抗宗教改革といいます。具体的には、イエズス会が創始され、カトリックを各国に布教しました。
また、トリエント公会議で、教皇至上主義の確認や、禁書目録の作成が行われました。
こうした情勢のなかで、カトリックとプロテスタントの対立は深まり、戦火を交える場合もありました。
まず、北部ネーデルラント(現在のオランダ)ではゴイセンが多かったのですが、北部ネーデルラントを支配しているのはカトリックの神聖ローマ帝国だったので、北部ネーデルラントに対してもカトリックの信仰を強制しました。
そこで、オラニエ公ウィレムを中心として、オランダ独立戦争が発生し、事実上の独立を達成することに成功しました。
- トリエント公会議
ドイツでもプロテスタントとカトリックが対立したことから、三十年戦争が発生しました。当初は宗教戦争であり、新教国と旧教国が対立していましたが、後半には旧教国フランスが旧教国である神聖ローマ帝国を弱体化させるために新教側で参戦するなど、政治的な理由による参戦も行われました。
三十年戦争の講和条約としてウェストファリア条約が締結されました。アウクスブルクの宗教和議ではカルヴァン派の信仰が認められていませんでしたが、ウェストファリア条約ではカルヴァン派の信仰も認められました。
また、スイスやオランダの独立が正式に承認されました。神聖ローマ帝国はアルザスという土地をフランスへ割譲しました。さらに、神聖ローマ帝国内の領邦の主権が認められ、神聖ローマ帝国の存在が形骸化してしまうことになります。
- Original map: Sting, modifications by Wikialine, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons
- アルザス地方
確認問題
波線部を、PCであればカーソルを合わせる、スマートフォンであればタップすることで答えが表示されます。
- カルヴァンはジュネーブで宗教改革を行った。
- ウェストファリア条約によってスイスとオランダの独立が正式に承認された。