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これだけ!世界史

高度経済成長と現代日本

 ここでは、高度経済成長から、現代の日本までの歴史を見ていきます。現代の日本がどのように形成されたのかを学習していきましょう。

 特需景気を契機として、日本は高度経済成長と呼ばれる好景気の時代に突入し、海外への輸出も向上したことから、日本経済は「もはや戦後ではない」と言われるようになりました。岸信介のあとに首相となった佐藤栄作所得倍増計画で国民総生産の向上や失業の解消を目標とし、実際に大きな経済成長を達成しました。さらに、東京オリンピック大阪万博の開催は日本の経済力を各国に誇示しました。オリンピックの直前には東海道新幹線も開通しました。さらに、農業基本法によって農業の近代化も推進されました。
 こうした経済の発展のなかで、中間層が増加し、中流意識を持つ者が増加しました。また、都市への移動が増え核家族が増加したことは消費の拡大に貢献し、電気洗濯機・白黒テレビ・電気冷蔵庫の「三種の神器」、その後自動車・カラーテレビ・ルームエアコンの「新三種の神器」が販売されました。
 一方で農村などの地方での過疎、都市の過密化が問題となりました。加えて、水質の汚染などによって水俣病、四日市(よっかいち)ぜんそく、イタイイタイ病、新潟水俣病の四大公害が問題となり、四大公害訴訟が行われ被害者側が勝訴しました。国もこうした事態を重く受け止め、公害対策基本法環境庁(現在の環境省)が発足しました。

東京オリンピック
Bundesarchiv, Bild 183-C1012-0001-026 / Kohls, Ulrich / CC-BY-SA 3.0, CC BY-SA 3.0 DE, via Wikimedia Commons
東京オリンピック

 対外的には、佐藤内閣は日本の非核三原則をアメリカのニクソン政権と確認し、沖縄の日本復帰を達成しました。韓国の朴正煕とは、日韓基本条約を締結し日韓関係を正常化しました。田中角栄首相のときにはニクソンの訪中を受け、日中共同声明によって中華人民共和国を承認する一方台湾政府とは国交を断絶しました。また、この時にはニクソン=ショックによって変動相場制へ移行しています。
 中曽根康弘(なかそねやすひろ)首相サッチャー同様新自由主義を推進し、行財政改革によって電電公社、専売公社、国鉄をそれぞれNTT、JT、JRとして民営化しました。また、竹下登首相のときには3%の消費税が導入されました。竹下内閣の時にはレーガン政権のときに発生していたアメリカの貿易赤字を減らすためにプラザ合意によってドル安円高路線に転換されました。円高への対策として通貨量が増加すると、不動産や株式に過剰に投資され、不動産や株式の価格が急騰するというバブル経済が発生しました。

田中角栄
首相官邸ホームページ, CC BY 4.0, via Wikimedia Commons
田中角栄

 その後、自民党は政治改革をめぐって対立し、自民党を離党し新党を結成する者もおり、そうした状況の中で野党の連立によって細川護煕(ほそかわもりひろ)内閣が成立し、55年体制が終了しました。細川内閣は政治改革を実行し、衆院選での小選挙区比例代表並立制や、政治資金規正法による政党助成制度が導入されますが、再び自民党が政権を握ることになります。また、この頃にはバブル経済が崩壊し、市場開放・規制緩和が進められました。
 湾岸戦争のときに日本は自衛隊を派遣しなかったことから批判を受け、宮沢喜一内閣のときにはPKO協力法によって自衛隊海外派遣ができるようにしました。その後、小泉純一郎内閣のときには再び新自由主義的な規制緩和が進められ、郵政事業民営化関連法案が可決されました。アメリカの金融会社リーマン=ブラザーズが経営破綻するというリーマン=ショックによって日本の景気が悪化すると民主党が一時期与党となりましたが、東日本大地震での対応への批判もあり、再び自民党が与党となりました。第二次安倍内閣憲法9条の解釈を変更し、同盟国への攻撃に共同して対抗できるとする集団的自衛権を可能にし、安全保障関連法案が可決されました。

確認問題

波線部を、PCであればカーソルを合わせる、スマートフォンであればタップすることで答えが表示されます。

  1. 田中角栄首相は日中共同声明によって中華人民共和国を承認した。
  • PKO協力法によって自衛隊の海外派遣を可能にした。