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これだけ!世界史
中世中国の文化
ここでは、三国時代から宋までの文化を扱います。そこまで優先度的には高くないので必死に全部覚える必要はないと思います。
まず、魏晋南北朝の文化を見ていきましょう。五胡十六国時代のときには、西域から仏図澄(ぶっとちょう)と鳩摩羅什(くまらじゅう)がやってきました。仏図澄は仏教の布教を行い、鳩摩羅什は仏典の漢訳を行いました。
また、五胡十六国時代には、中国北西部の敦煌では莫高窟(ばっこうくつ)の造営が行われました。北魏のときには、平城付近に雲岡石窟、洛陽付近に雲崗石窟(うんこうせっくつ)が造営されました。龍門石窟は、孝文帝が漢化政策を行なった影響もあり、中国風の様式になっているのが特徴です。(前掲の地図参照)
- 竜門石窟
文学の分野では、南朝の梁昭明太子(しょうめんたいし)が『文選』を編纂したことで有名です。『文選』は、四六駢儷体という文体で書かれています。
絵画の分野では、顧愷之が宮中の生活を舞台に「女史箴図」(じょししんず)という絵を描きました。書道の分野では、王羲之(おうぎし)が「蘭亭序」という作品を残しています。
- 「女史箴図」
次に、唐の文化について見ていきましょう。まず、唐ではさまざまな国との交流が進んでいきます。例えば、唐三彩という陶器では、ラクダなどの異文化をもとにした作品がつくられました。また、ゾロアスター教、ネストリウス派キリスト教、イスラーム教がこの時代に中国に伝播し、それぞれ祆教(けんきょう)、景教、回教とよばれ、寺院が建立されました。
文学では、李白と杜甫が漢詩を残し、それぞれ「詩仙」、「詩聖」と呼ばれました。また、活躍した時期も、李白のほうが先、ということは覚えておきましょう。また、白居易は「長恨歌」という作品で、玄宗と、その妻の楊貴妃の恋愛を描いたことで知られています。
また、書道では顔真卿(がんしんけい)が力強い作風で知られています。先述の、魏晋南北朝時代の書家王羲之は繊細な作風で知られているので、作風の違いを抑えておきましょう。
- 顔真卿の「顔勤礼碑」
次に、宋の文化について見ていきましょう。まず、儒教について、北宋の周敦頤(しゅうとんい)という人物が宋学という学問を創始し、南宋の朱熹によって大成されました。朱熹は朱子とも呼ばれたことから、宋学は朱子学とも呼ばれます。朱子学は、宇宙の根本原理についての思想で、哲学的な内容になっています。
芸術の分野では、徽宗らの宮中の絵画である院体画と、士大夫らが中心である文人画が発達しました。
- 徽宗の「桃鳩図」
確認問題
波線部を、PCであればカーソルを合わせる、スマートフォンであればタップすることで答えが表示されます。
- 鳩摩羅什は仏典の漢訳を行なった。
- 白居易の「長恨歌」は玄宗と楊貴妃の恋愛を描いたものである。