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これだけ!世界史

中世ヨーロッパ世界の形成

 ここでは、中世ヨーロッパについて扱います。中世ヨーロッパでは、多くの重要人物が登場するため、人物を整理して覚えるようにしましょう。

 ローマ帝国が滅亡する少し前、ゲルマン人が、ドナウ川の東側に住んでいました。しかし、ゲルマン人より東側に住んでいたフン人が、西進してゲルマン人の地域に侵入したため、ゲルマン人の民族の一つである、西ゴート人がドナウ川を越え、ゲルマン民族の大移動が起こりました。
 ゲルマン民族の大移動によって、ローマ帝国は混乱し、ゲルマン人傭兵隊長オドアケルによってローマ帝国が滅ぼされました。

ゲルマン人の大移動
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ゲルマン人の大移動

 その後、各地にゲルマン人の国家が誕生します。フランク人は現在のフランスにフランク王国を建て、その南部ではブルグンド人ブルグンド王国を建国しましたが、フランク王国によって征服されました。
 アングロ=サクソン人はイングランド(現在のイギリス南部)にアングロ=サクソン七王国を樹立し、エグバート王のときにアングロ=サクソン七王国は統一されました。
 東ゴート人はイタリアに東ゴート王国を建てましたが、ビザンツ帝国によって滅ぼされ、その後はランゴバルド人によってイタリア北部にランゴバルド王国が樹立されました。
 イベリア半島では西ゴート王国が建国されましたが、イスラームによって滅ぼされました。

ゲルマン人の王国
ゲルマン人の王国

 フランク王国では、まずクローヴィスを始祖として、メロヴィング朝による統治が行われました。このときにイスラームが侵入してきましたが、宮宰(マヨル=ドムス)のカール=マルテルが撃退に成功し、彼の名声を高めることに成功しました。そして、彼の子のピピンのときにはメロヴィング朝の王を追放し、カロリング朝による統治が始まりました。
 カロリング朝の支配をローマ教皇が容認していたため、その見返りとしてラヴェンナ地方を教皇に寄進し、これによって教皇が支配する領地である教皇領が誕生しました。

ピピンが寄進したラヴェンナ地方
ピピンが寄進したラヴェンナ地方

 ピピンの子のカール大帝(シャルルマーニュ)のときにカロリング朝は最盛期を迎えました。彼は、イタリア北部のランゴバルド王国を滅ぼすことに成功し、広大な領土を保有していました。領土を効率的に支配するために、という役職に地方行政を任せました。また、伯に対する監査役として巡察使という役割も設けました。
 また、宮廷のあったアーヘンでは、カロリング=ルネサンスと呼ばれる文化が発達しました。具体的には、イングランドからアルクインと呼ばれる神学者を招聘し、神学やラテン語の普及にあたりました。
 さらに、ローマ教皇レオ3世によって、カール大帝は西ローマ帝国の帝冠を授かりました。これは、ローマ文化キリスト教文化ゲルマン文化が融合した象徴的な出来事とされています。

カール大帝のときの領土
TEN, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons
カール大帝のときの領土

 カール大帝の死後は、領土の分割が親族間で行われました。まず、ヴェルダン条約によって、フランク王国の領土が、西フランク王国中部フランク東フランク王国に分断されました。その後、メルセン条約によって中部フランク王国の一部が東フランク王国と西フランク王国に分割されました。西フランク王国はフランス、中部フランク王国はイタリア、東フランク王国はドイツのルーツとなりました。

メルセン条約による領土分割
Furfur, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons
メルセン条約による領土分割

 その後、東フランク王国(ドイツ)ではカロリング朝が断絶し、ザクセン朝による支配が始まりました。オットー1世のときにはマジャール人を撃退することに成功し、教皇からローマ帝国の帝冠を授かり、神聖ローマ帝国が誕生しました。
 西フランク王国(フランス)では、同じくカロリング朝が断絶し、パリ伯のユーグ=カペーによってカペー朝が創始されました。
 中部フランク王国(イタリア)ではカロリング朝が断絶すると、都市国家が分裂し、近代になるまで統一国家が出現しませんでした。

オットー1世のステンドグラス
http://www.crdp-strasbourg.fr/data/albums/bas_cotes/index.php?img=4&parent=20, Public domain, via Wikimedia Commons
オットー1世のステンドグラス

確認問題

波線部を、PCであればカーソルを合わせる、スマートフォンであればタップすることで答えが表示されます。

  1. ゲルマン人の大移動以前には、ゲルマン人はドナウ川以東に居住していた。
  2. カールの戴冠は、ローマ文化、ゲルマン文化、キリスト教文化が融合した象徴的な出来事とされている。