ロゴ

世界史カフェ

https://sekaishi-cafe.com

Home >> これだけ!世界史目次 >> 中世ヨーロッパ世界の発展

これだけ!世界史

中世ヨーロッパ世界の発展

 ここでは、ノルマン人の登場から、協会刷新運動までの歴史を取り扱います。ヨーロッパがどのように発展していったのか、という点を注意して押さえるようにしましょう。

 現在の北欧には、ノルマン人(ヴァイキング)と呼ばれる民族が居住していました。元々ノルマン人は交易や略奪を中心に行なっていましたが、その後は対外的な支配に乗り出しました。

ノルマン人の戦闘の様子
Otto Sinding, Public domain, via Wikimedia Commons
ノルマン人の戦闘の様子

 具体的には、まずリューリクは現在のロシアにノブゴロド国と呼ばれる国を建てました。その後、ノブゴロド国の一派が南下してキエフ公国を建国しました。
 北フランスでは、ロロによってノルマンディー公国が建国されました。その後、ノルマンディー公国のノルマンディー公ウィリアムによって、イングランドが征服され、ノルマン朝による支配が始まりました。
 イタリア南部では、ノルマン人によって、両シチリア王国が建国されました。

ノルマン人の支配領域
ノルマン人の支配領域

 この辺りから、ヨーロッパでは封建制が発達していきます。封建制は、ローマの恩貸地制という制度と、ゲルマン人の従士制という制度が組み合わさって誕生しました。
 封建制度では、主君が諸侯に領土を与える代わりに、諸侯は主君から要請があれば戦争に参加する必要がありました。これは、主君と諸侯どちらにも義務があることから、双務契約と呼ばれています。

 封建制の時代では荘園が誕生しました。荘園は、領主が所有する土地で、領主が直接経営する領主直営地と、農民が保有する農民保有地に区分することができます。
 また、領主は不輸不入権(インムニテート)を有しており、役人が荘園へ侵入することを拒むことができました。領主に隷属する農民のことは農奴といい、領主直営地の耕作を行う賦役や、生産物の一部を領主に納める貢納といった義務がありました。

荘園の様子
Barthélemy d'Eyck, Public domain, via Wikimedia Commons
荘園の様子

 次に、中世のキリスト教の歴史をみていきます。ベネディクトゥスは、イタリア中部にモンテ=カシノ修道院を設立され、以後彼の思想を参考に各地に修道院や修道会が設立されていきます。フランスにはクリュニー修道院が設立され、クリュニー修道院からグレゴリウス7世が教皇となり、教会刷新運動を主導していきました。
 グレゴリウス7世は、神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世と、聖職叙任権をめぐって争っていました。これを叙任権闘争といいます。叙任権とは、聖職者を任命する権利です。結果的に、グレゴリウス7世はハインリヒ4世を破門したため、ハインリヒ4世はグレゴリウス7世に赦しを乞いました。これをカノッサの屈辱といいます。彼らの死後にはヴォルムス協約により、聖職叙任権を教皇が持つとし、叙任権闘争が集結しました。

カノッサの屈辱
カノッサの屈辱

 同じくフランスのシトー派修道会は周辺の土地を開墾していきました。その後イタリアにはフランチェスコ修道会、フランスにはドミニコ修道会などの托鉢修道会が生まれました。

 また、ローマ教会は東ローマ帝国のコンスタンティノープル教会と、聖像禁止令を巡って対立します。聖像禁止令とは、ビザンツ帝国のレオン3世が発した勅令で、キリスト教の原始的な教えを重視し、偶像崇拝を一切認めない、というものでした。ローマ教会はゲルマン人の普及のために聖像を用いていたため、コンスタンティノープル教会と対立し、ローマ教会を中心としたカトリック教会と、コンスタンティノープル教会を中心としたギリシア正教に分離していきます。

修道院、修道会やカノッサの場所
修道院、修道会やカノッサの場所

確認問題

波線部を、PCであればカーソルを合わせる、スマートフォンであればタップすることで答えが表示されます。

  1. 荘園の領主は不輸不入権(インムニテート)によって役人が立ち入ることを防ぐことができる。
  2. グレゴリウス7世とハインリヒ4世は聖職叙任権をめぐって対立した。