ロゴ

世界史カフェ

https://sekaishi-cafe.com

Home >> これだけ!世界史目次 >> 中世東ヨーロッパとヨーロッパの文化

これだけ!世界史

中世東ヨーロッパとヨーロッパの文化

 この章では中世東ヨーロッパの歴史とヨーロッパの文化を扱います。とりあえず大まかに東ヨーロッパや、ヨーロッパ文化の特徴を覚えておけば十分かと思います。

 フランク王国のカール大帝より前の時代に、ビザンツ帝国の君主として、ユスティニアヌス大帝が即位していました。ユスティニアヌスはイタリアの東ゴート王国を征服することに成功しました。ただし、ユスティニアヌスの死後はランゴバルド王国がイタリアを支配し、その後はカール大帝が支配しています。
 ユスティニアヌス大帝はほかにも、『ローマ法大全』によりローマ帝国の法をまとめたり、都コンスタンティノープルにハギア=ソフィア聖堂を建立しています。
 ユスティニアヌス大帝のあとには、土地制度として軍管区制テマ制)が採用されました。軍管区制とは、土地をいくつかの軍管区にわけ、それを軍の司令官によって統治させるという制度です。
 また、先ほども述べたように、レオン3世によって聖像禁止令が出され、東西教会が分裂し、ビザンツ帝国ではギリシア正教会として独自の発展を遂げ、公用語もギリシア語が使用されました。

ユスティニアヌス大帝のときの領土
By NeimWiki - Own work, CC BY-SA 4.0, Link
ユスティニアヌス大帝のときの領土

 ポーランドはカトリックを受容し、ヤゲウォ朝のときにはリトアニアと連合した国家になりました。
 ハンガリーは、アジア系のマジャール人たちによって形作られていきます。ハンガリーはカトリックを受容し、一時期はオスマン帝国に征服されますが、その後はオーストリアの支配下に入ります。
 ロシアは、中世には「タタールのくびき」とよばれるモンゴルの支配を受けますが、モスクワ大公国が樹立され、イヴァン3世のときにモンゴルから独立しました。また、モスクワ大公国はギリシア正教を受容しています。

中世東欧
Original work of User:Kpalion only uploaded to commons by User:Gustavo Szwedowski de Korwin and tagged with the same license. - w:en:File:Jagiellon Realm.png, CC 表示-継承 3.0, リンクによる
中世東欧

 次に、ヨーロッパの文化について見ていきます。中世ヨーロッパでは、神学を中心としたスコラ学が発達しました。そこでは、普遍的な概念が存在するとした実在論と、普遍的な概念は名目的なものにすぎないとする唯名論が対立します。『神学大全』を著したトマス=アクィナスは実在論の立場を取りました。
 イギリスのロジャー=ベーコンは自然科学者で、実験や観察を重視しました。
 文学では、カール大帝の時代を舞台とする『ローランの歌』が重要です。

確認問題

波線部を、PCであればカーソルを合わせる、スマートフォンであればタップすることで答えが表示されます。

  1. ユスティニアヌス大帝のときには東ゴート王国の征服に成功した。
  2. スコラ学は神学を中心とした学問である。