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これだけ!世界史

各地のイスラーム王朝

 ここでは、アッバース朝以降に、各地に誕生したイスラーム王朝を扱います。

 では、具体的に各地にはどのような王国があったのでしょうか。イベリア半島には、コルドバを中心として、後ウマイヤ朝が建てられました。その後、イベリア半島や北アフリカには、ベルベル人という民族が建国したムラービト朝の支配を受けることになります。ムラービト朝のあとには、同じくベルベル人の王朝である、ムワッヒド朝が、同じ地域を支配しました。
 最終的に、イベリア半島にはナスル朝という王朝が誕生しますが、キリスト教の国の、スペイン王国によって滅ぼされました。

ムラービト朝の領土とコルドバとグラナダ
ムラービト朝の領土とコルドバとグラナダ

 エジプトでは、シーア派ファーティマ朝が誕生し、都としてカイロを建設しました。以降のエジプト王朝もカイロが都です。また、イスラーム世界の初めての大学としてアズハル学院が建設されました。
 ファーティマ朝のあとには、エジプトにアイユーブ朝が誕生しました。建国者はクルド人のサラディンです。サラディンはカトリック諸国の連合軍である、十字軍を撃退し、聖地イェルサレムを奪還すること成功しました。
 アイユーブ朝のあとには、マムルーク朝が誕生しました。マムルーク朝は、オスマン帝国によって滅ぼされます。

ファーティマ朝
ファーティマ朝

 次に、アジアのイスラーム王朝について見ていきましょう。シーア派ブワイフ朝は、バグダードに入城することに成功し、アッバース朝のカリフから大アミール(大将軍)の称号を授かります。ちなみに、ブワイフ朝のときには、軍人に対して地方の徴税権を与える、イクター制が始まり、各地のイスラーム王朝に継承されました。
 その後、セルジューク朝がバグダードに建国することに成功し、アッバース朝のカリフからスルタン(支配者)の称号を得ることに成功しました。

セルジューク朝
MapMaster, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons
セルジューク朝

 中央アジアは、サーマーン朝によって支配されました。その後、トルコ人初のイスラーム王朝であるカラハン朝によってサーマーン朝が倒されました。
 補足ですが、中央アジアで、トルコ人が多く住んでいる地域をトルキスタンといいます。トルコ人は、徐々にトルキスタンから西に居住するようになり、セルジューク朝やオスマン帝国を建てました。

カラハン朝
KtrinkoGabagool, CC BY 3.0, via Wikimedia Commons
カラハン朝

 アフガニスタンでは、ガズナ朝、その後にはゴール朝が誕生し、どちらの王朝も北インドへの侵入を行いました。その結果、インドでも、アイバクによって奴隷王朝というイスラーム王朝が誕生しました。また、奴隷王朝以降のデリーを都とした王朝をデリー=スルタン朝といいます。

奴隷王朝
Maps created from DEMIS Mapserver, which are public domain. Koba-chanTerritorial area: पाटलिपुत्र (talk), per Schwartberg Atlas p.147, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons
奴隷王朝(Delhiがデリー)

 西アフリカでは、ガーナ王国という、イスラーム教の国が誕生します。ガーナ王国や、以降の西アフリカの王国は、西アフリカの金と、サハラ砂漠の塩を交換する塩金貿易によって栄えました。
 その後、西アフリカにはマリ王国が誕生し、都のトンブクトゥが栄えます。最盛期の王マンサ=ムーサは、各地に金を贈りながらメッカ巡礼をしたと言われています。
 アフリカ東部では、現地の言語と、アラビア語が混合し、スワヒリ語が誕生しました。また、アフリカ東部ではマリンディモンバサザンジバルキルワなどの都市が栄えました。

マリ王国
Siyajkak, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons
マリ王国

 東南アジアでは、マレー半島のマラッカ王国の王がイスラームを受容したことでイスラームが広まっていきます。また、スマトラ島の北部にはアチェ王国が誕生し、20世紀まで存続します。

確認問題

波線部を、PCであればカーソルを合わせる、スマートフォンであればタップすることで答えが表示されます。

  1. ベルベル人は、ムラービト朝やムワッヒド朝を建てた。
  2. 西アフリカの王国は塩金貿易によって繁栄した。