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これだけ!世界史

近代西欧各国史

 ここでは、近代における西欧各国の歴史をみていきます。自由主義をいち早く進めたイギリスのような国もあれば、国家の建設が遅れたイタリアのような国もあり、各国によって全く様子が異なっているので、それぞれの国の違いを意識して覚えておきましょう。

 イギリスでは、審査法が廃止され、カトリック教徒解放法が施行されることで、カトリックであっても公職に就任することができました。
 選挙に関しては、産業革命のあとには都市に人口が集中したため、農村と都市の間でいわゆる一票の格差が大きくなっていました。特に、農村部の中で不正選挙が行われていた選挙区を腐敗選挙区といいます。そこで、第一回選挙法改正によって都市に選挙区を配分し腐敗選挙区を廃止するとともに、選挙権を産業資本家にも与えました。
 その後、労働者たちが参戦権の獲得を訴えてチャーティスト運動が展開されたため、第二回選挙法改正労働者に対しても選挙権が付与されました。
 また、地主を保護するために、穀物の輸入に対して関税を課す、穀物法という法律が施行されていましたが、コブデンブライトらによる反穀物法同盟自由貿易を求めたことで、穀物法が廃止されました。

チャーティスト運動
Alfred Pearse (1855–1933), Public domain, via Wikimedia Commons
チャーティスト運動

 また、ヴィクトリア女王が即位した期間はパクス=ブリタニカと呼ばれ政治、経済において国際的な覇権を握ります。特に、初めてロンドン万国博覧会を開催することに成功し、イギリスの工業力を世界に誇示することができました。国内においては自由党保守党の二大政党制が成立します。
 自由党の首相グラッドストンのときにアイルランド自治法案が提出されますが、議会で否決され、結局施行されるのは第一次世界大戦後になります。
 保守党のディズレーリが首相の時にはエジプトのスエズ運河を支配したり、インドを直接統治し、インド帝国を成立させるなどしました。

スエズ運河
CC BY 2.5, Link
スエズ運河

 フランスでは先述したように第二共和政が成立していました。当初の政府には社会主義者のルイ=ブランが雇用され、失業対策として国立作業場を開設します。しかし、その後の選挙で社会主義陣営が敗北し国立作業場も閉鎖されたことから、労働者が六月蜂起を起こしますが政府によって鎮圧されます。
 その後、ナポレオン=ボナパルトの甥であるルイ=ナポレオンが大統領に就任します。そして、彼もまた皇帝に就任してナポレオン3世として即位します。以降の政体を第二帝政と呼びます。しかし、プロイセン=フランス戦争(普仏戦争)に敗北したことによってナポレオン3世は退陣し、第三共和政が始まります。第三共和政の政府は、パリに誕生していた労働者政府であるパリ=コミューンを弾圧し、国内を統一します。

ルイ=ナポレオン
Franz Xaver Winterhalter, Public domain, via Wikimedia Commons
ルイ=ナポレオン

 一方イタリアでは、いくつかの国が分立していました。その中でも、西北部のサルデーニャ王国がイタリア統一に向けて動き始めます。国王ヴィットーリオ=エマヌエーレ2世のときの首相カヴールはサルデーニャ王国とフランスの境界線上にある、サヴォイアニースをフランスに割譲することによってナポレオン3世の支援を得ることに成功し、イタリアのほとんどを支配下に置くことができ、イタリア王国が建国されました。また、南チロルトリエステは「未回収のイタリア」と呼ばれ、本来はイタリア王国に併合したかった地域でしたが第一次世界大戦後までオーストリアの領土でした。
 教皇領に関しては教皇の同意を得ずに強制的に併合してしまったため、第一次世界大戦後にヴァチカン市国が成立するまで教皇とイタリアは対立します。

イタリア王国成立前のイタリア半島
イタリア王国成立前のイタリア半島

確認問題

波線部を、PCであればカーソルを合わせる、スマートフォンであればタップすることで答えが表示されます。

  1. イギリスの第二回選挙法改正によって労働者に選挙権が付与された。
  2. イタリア王国が成立した当時、「未回収のイタリア」はオーストリアの領土であった。