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これだけ!世界史
近代東欧各国史
このチャプターでは近代東欧の歴史を扱います。東欧は、西欧と比べて皇帝の権力が強大であったので、それを踏まえて学習を行うと良いと思います。
まず、ドイツについてみていきましょう。ドイツもイタリアと同じで複数の国が分立していましたが、プロイセン王国がドイツ統一に向けて動き出します。首相のビスマルクは、プロイセン=オーストリア戦争(普墺戦争)に勝利すると、北ドイツ連邦を成立させることに成功しました。その後、普仏戦争でフランスのナポレオン3世を破ると南ドイツも併合し、ドイツ帝国を成功させました。また、普仏戦争の講和条約でドイツ帝国はフランスのアルザス・ロレーヌを割譲したため、ドイツとフランスの対立を招くことになります。
- Maximilian Dörrbecker (Chumwa), CC BY-SA 2.0, via Wikimedia Commons
- ドイツ帝国
ドイツ帝国では、ビスマルクは文化闘争としてカトリックと対立したり、社会主義者鎮圧法によって社会主義者と対立する一方で、疾病保健などの社会保障にも力を入れました。
外交に関して、先述したようにドイツはフランスと対立していたため、ビスマルクはフランスの孤立化を行いました。例えば、三帝同盟でドイツ、オーストリア、ロシアが、三国同盟でドイツ、オーストリア、イタリアがそれぞれ同盟を結ぶことで、ドイツはフランス以外の強国とは同盟関係を維持しようとしました。ロシアに関しては、三帝同盟の期限が切れた後も再保障条約を締結し、お互いが敵対することのないようにしました。
- ビスマルク体制
次にロシアの歴史についてみていきましょう。ロシアでは、不凍港を獲得するため、南下政策を推し進めていました。南下政策の一貫としてクリミア半島を獲得するため、クリミア戦争でオスマン帝国と戦いましたが、結局敗北してしまいます。当時の皇帝アレクサンドル2世はクリミア戦争の敗北を受け、国家の近代化に努めます。具体的には、農奴解放令を発布し、農民たちをミールと呼ばれる農村共同体で生活させました。
民衆の中でも、インテリゲンツィアと呼ばれる知識層の中にもロシアの近代化を行おうとする人々が現れます。そのなかのナロードニキと呼ばれる人々は農民を中心とした改革を行うとしましたが失敗したため、テロリズムに走ることとなります。
- The Emirr, Spesh531, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons
- クリミア半島
その後、再びロシア=トルコ戦争(露土戦争)でロシアとオスマン帝国が戦い、これはロシアが勝利しサン=ステファノ条約でブルガリアを保護下におくことに成功しました。しかし、イギリスやオーストリアがサン=ステファノ条約の内容に反対したため、ビスマルクが仲介してベルリン条約を新たに締結しました。これによってブルガリアの領土が縮減し、結局オスマン帝国の支配下に戻りました。また、ボスニア・ヘルツェゴヴィナがオーストリアの支配下に入ったことも覚えておきましょう。
- ベルリン条約後のバルカン半島周辺
確認問題
波線部を、PCであればカーソルを合わせる、スマートフォンであればタップすることで答えが表示されます。
- ドイツ帝国のブスマルクは外交においてフランスを孤立させようとした。
- ベルリン条約でボスニア・ヘルツェゴヴィナがオーストリアの支配下となった。