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これだけ!世界史

世界恐慌から第二次世界大戦勃発まで

 この章では、世界恐慌が発生してから、第二次世界大戦が開始するまでの時代を扱います。第二次世界大戦や世界恐慌の原因や結果をしっかり整理して覚えるようにしましょう。

 ニューヨークにあるウォール街の株式市場で株価が暴落するということが発生し、世界各国に影響を及ぼしました。これを世界恐慌といいます。当時、アメリカの大統領であったフーヴァーフーヴァー=モラトリアムによってドイツがヴェルサイユ条約によって負った賠償金の支払いを停止するなどの措置を採りましたが、あまり効果がありませんでした。
 そのあとに大統領になったフランクリン=ローズヴェルトニューディール政策を打ち出し、積極的に政府が経済に介入しました。例えば、農業調整法で農作物の価格を安定させ、全国産業調整法で企業や労働者の支援をし、テネシー川流域開発公社を設立し、ダムを建設することで失業者を削減しました。ただし、全国産業調整法については裁判所が憲法違反と認め、改めてワグナー法によって労働権を付与しました。

フランクリン=ローズヴェルト
See page for author, Public domain, via Wikimedia Commons
フランクリン=ローズヴェルト

 イギリスでは、第二次マクドナルド内閣が成立しましたが、失業保険を削減したため労働党から反発を受け総辞職に追い込まれました。ただし、その後保守党などの支援を受けてマクドナルド挙国一致内閣が成立し、ポンドを基軸としたスタリーング=ブロックというブロック経済を政策とし、保護貿易を基本としました。
 一方で日本は、関東軍と呼ばれる中国に駐留している日本軍が南満州鉄道を爆破した、柳条湖事件を口実として関東軍は満州事変を引き起こしました。満州事変によって満州国が誕生し、皇帝には、清朝最後の皇帝である溥儀(以前の宣統帝)が即位しました。
 満州事変について調査するため国連からリットン調査団が派遣されましたが、これに日本側が反発し国連を脱退し、国際的に孤立してしまいます。さらに、五・一五事件犬養毅首相が、二・二六事件で政府要職が軍部によって暗殺されるなど、次第に日本は軍部の力が強まるようになります。

リットン調査団
リットン調査団

 中国では、上海クーデタによって中国国民党中国共産党が対立していましたが、張学良という人物が西安クーデタ蒋介石を監禁し説得することで中国共産党に対して宥和的な姿勢を見せるようになります。日本軍と中国軍が盧溝橋事件によって衝突したことをきっかけに日中戦争が勃発した時には第二次国共合作を行い共同して日本軍と戦うようになりました。ただし、当初中国側は劣勢で南京を占領されましたが、重慶を首都にして抵抗を続けました。

日中戦争における日本占領地
日中戦争における日本占領地

 ドイツでは、ヒトラーによって国民社会主義ドイツ労働者党ナチス)が国民から急激な支持を受けるようになります。一度は武力蜂起による政権奪取を目論みましたが、失敗しヒトラーは投獄されてしまったため、ヒトラーが出獄したあとは選挙により合法的に勢力を伸ばし、とうとう当時の大統領ヒンデンブルクによって首相に任命されました。さらに、国会議事堂放火事件共産党による陰謀とし共産党を弾圧したことで、ナチスの勢力が圧倒的となり、全権委任法により立法権もヒトラーが手にし、独裁ができるようになりました。

ヒトラー
Heinrich Hoffmann, Public domain, via Wikimedia Commons
ヒトラー

 ヒトラーが独裁者となるとユダヤ人アウシュビッツなどにある強制収容所に連行し大量の死者を生み出しました。さらに、日本と同様に国連を脱退し、国際的な孤立を強めました。さらに、再軍備宣言によって徴兵制を復活させたり、非武装地帯とされていたラインラントに進駐したことでロカルノ条約を破棄させたりすることで、ドイツは軍国主義化していきます。

アウシュビッツ強制収容所
Logaritmo, Public domain, via Wikimedia Commons
アウシュビッツ強制収容所

 また、スペインで共産党などの支援を受けたアサーニャ人民戦線内閣が成立すると、それに抵抗したフランコが武装蜂起したことでスペイン内戦が始まりました。ドイツやイタリアはフランコを支援し、アメリカの作家であるヘミングウェーなどの国際義勇軍はアサーニャを支援しました。ドイツは航空機を使ってゲルニカという都市を爆撃しましたが、それに怒ったピカソが「ゲルニカ」という作品を残しています。しかし、結果としてフランコ側が勝利しスペイン内戦が終了しました。
 スペイン内戦によってドイツとイタリアの関係が強化されたことから、同じく国際的に孤立していた日本も誘って三国防共協定を締結しました。また、イタリアも同様に国連から脱退することを決定しました。

ゲルニカ
アレンデサラザール通り, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons
ゲルニカ

 その後、ドイツはオーストリアを併合し、さらにチェコスロヴァキアに対してもズデーテン地方の割譲を要求したことから、英仏が危機感を抱き英仏伊独の四国がミュンヘン会談を開催しましたが、結局ドイツのズデーテン地方の割譲を認めてしまいました。こうした英仏の外交による解決を目指した政策を宥和政策といいます。しかし、ヒトラーはミュンヘン会談を無視して、ズデーテン地方だけでなくチェコスロヴァキア自体を支配下におきました。
 さらに、ドイツはポーランドに対して、ドイツ領の間にあるダンツィヒと言われる都市の割譲を要求しました。これをポーランドが拒否したため、ドイツは独ソ不可侵条約によってポーランドをソ連と分割する代わりにソ連と不可侵条約を締結したうえでポーランドに侵攻しました。これに対しては英仏もさすがに許容することはできず、ドイツに対して宣戦布告しました。これによって第二次世界大戦が始まりました、

確認問題

波線部を、PCであればカーソルを合わせる、スマートフォンであればタップすることで答えが表示されます。

  1. アメリカではワグナー法によって労働権が付与された。
  2. ドイツはポーランドに対してダンツィヒの割譲を要求した。