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これだけ!世界史
第二次世界大戦
ここでは、第二次世界大戦について説明します。第二次世界大戦ではどんな戦いがあったのかを順番に覚えられるようにしましょう。
まず、前のチャプターで説明したように、ドイツはポーランドに対して宣戦布告し、一方でイギリスやフランスはドイツに対して宣戦布告しました。ドイツは電撃戦と呼ばれる戦車や航空機を用いた戦法でポーランドを占領することに成功しました。これを受けて、イギリスでは宥和政策を改め、ドイツに対する徹底抗戦を主張したチャーチルが首相になります。また、イタリアもドイツ側で第二次世界大戦に参戦します。
ドイツはさらに快進撃を続け、パリを占領することに成功し、フランス南部にはヴィシー政府と呼ばれる傀儡政府(ドイツのいいなりの政府)を樹立しました。一方でフランスの軍人であったド=ゴールはイギリスに亡命し、レジスタンス運動という、民衆の反抗運動を支援しました。
- San Jose, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons
- 第二次世界大戦の経過
しかし、徐々にドイツは苦境に立たされることになります。例えば、ドイツはユーゴスラヴィアという国を占領していましたが、ティトーという人物による抵抗運動が発生しました。また、バルカン半島をめぐってドイツとソ連の関係が悪化したため、ソ連はドイツとの開戦に備えるべく、日本と日ソ中立条約を締結し、日本がソ連を攻めることがないようにしました。そして、実際にドイツがソ連に対して攻撃を行いました。これを独ソ戦といいます。しかし、スターリングラードの戦いでドイツが敗北したことから、ドイツが劣勢になります。
また、同じくらいの時期に日本がアメリカの真珠湾を奇襲したことから太平洋戦争が始まり、日本も米英などの連合国と対峙します。また、これを受けてドイツとイタリア(枢軸国)もアメリカに対して宣戦布告します。しかし、日本もミッドウェー海戦で米軍に敗北したことから劣勢になります。
- 主要な激戦地
一方で、太平洋戦争の前にはアメリカとイギリスが大西洋上会談で戦後の国際秩序について話し合い、大西洋憲章で文書化されました。また、テヘラン会談では、フランスを解放するためにノルマンディー上陸作戦を実行することが定められました。結果としてパリの解放にも成功したことから、ヤルタ会談でドイツの戦後処理について話し合われました。その後、ドイツはベルリンが陥落したため降伏します。
一方、日本に対しての戦後処理はカイロ会談で話し合われました。また、ポツダム会談ではポツダム宣言が採択され、日本の無条件降伏が要求されました。ちなみに、この時にはフランクリン=ローズヴェルトが死去していたため、トルーマンが大統領となり会談に参加していました。しかし、これを日本が受諾しなかったため、8月6日にアメリカによって広島に初めて原子爆弾が投下され、その後ソ連が独ソ不可侵条約を破棄して対日参戦を行いました。さらに、8月9日にもアメリカによって長崎に原子爆弾が投下されたため、日本は降伏し、第二次世界大戦が終結しました。
- UK National Archives, Public domain, via Wikimedia Commons
- ヤルタ会談
第二次世界大戦が終結すると、ドイツではニュルンベルク裁判が開かれ、戦争犯罪人の処罰が行われました。また、ドイツの東側はソ連に、西側は米、英、仏によって占領されました。
日本でも、極東国際軍事裁判が開かれ、戦争犯罪人の処罰が行われました。また、日本はアメリカのマッカーサーを中心としたGHQという組織によって占領されました。GHQによって平和主義などを規定した日本国憲法が発布されました。その後サンフランシスコ平和条約によって日本の主権が回復しました。
- Photographer not credited., Public domain, via Wikimedia Commons
- マッカーサー
また、連合国を中心とした新しい国際秩序が戦後形成されていきます。まず、サンフランシスコ会議(サンフランシスコ平和条約とは別物)で国際連合憲章が採択され、国際連合が創始されました。国際連合はニューヨークに本部が置かれました。また、総会では各国が一票を持っており多数決で議決が行われるのに対して、安全保障理事会ではアメリカ、イギリス、ソ連、フランス、中華民国には拒否権が与えられ、これらの国の一国でも議案に反対した場合否決されてしまいます。
- See File history below for details. Denelson83, Zscout370 ve Madden, Public domain, via Wikimedia Commons
- 国連憲章旗
さらに、ブレトン=ウッズ会議によって国際通貨基金や国際復興開発銀行が設立されました。国際通貨基金は経済的援助を行う機関で、国際復興開発銀行は戦後の経済復興を目的とした機関です。また、ブレトン=ウッズ会議ではドルを基軸とした固定相場制が採用されました。つまり、現在のように通貨の価値が変動するということはなかったということです。
加えて、GATT(関税および貿易に関する一般協定)が採択され、国際的な自由貿易の促進が目指されました。GATTは後に世界貿易機関(WTO)になります。
確認問題
波線部を、PCであればカーソルを合わせる、スマートフォンであればタップすることで答えが表示されます。
- ポツダム会談の時にはアメリカのトルーマン大統領が参加した。
- ブレトン=ウッズ会議ではドルを基軸とした固定相場制が採用された。