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これだけ!世界史
アジア各国の植民地化や改革運動
ここでは、東南アジアやインドなど、アジア各国が植民地化されていく過程や、西アジアのイスラーム諸国における改革の様子をみていきます。アジア各国は列強によって殖民地化されていく一方で、列強に対する反発運動も行われていた、ということを意識して学習していきましょう。
まず、東南アジアの歴史を見ていきましょう。ベトナムでは、フランス人宣教師ピニョーの援助を受け、阮福暎が阮朝を創始しました。しかし、フランスが清仏戦争に勝利し、天津条約で中国の、ベトナムに対する宗主権を放棄させたことでフランスはベトナムを植民地にすることに成功し、カンボジアとラオスを加えてフランス領インドシナ連邦を形成しました。ただし、この天津条約はアロー戦争の講和条約である天津条約とは別なので混同しないようにしましょう。
マレー半島やシンガポールはイギリスが支配し、スマトラ島やジャワ島などの現在のインドネシアに相当する領土はオランダが支配し、オランダ領東インドと呼ばれました。オランダ領東インドでは強制栽培制度によって商品作物が強制的に栽培されました。
- 東南アジアの植民地
インドはイギリスの支配を受けていましたが、イギリスへの反発としてシパーヒーの反乱が起こりました。これをイギリス軍が鎮圧するとともに、ムガル帝国を滅亡させました。また、以前はイギリス東インド会社がインドを支配していましたが、シパーヒーの反乱の後はイギリス政府がインドを直接統治するようになりました。
その後、インド帝国を成立させ、ヴィクトリア女王がインド皇帝として即位しました。インド帝国では分割統治という統治方法が採られ、インド内における宗教や民族の対立などを利用して統治を進めていきました。
また、ミャンマーはインド帝国に編入され、アフガニスタンもイギリスの保護下に入ったことから、東南アジアで独立を維持できたのはタイのみになります。
- Edinburgh Geographical Institute; J. G. Bartholomew and Sons., Public domain, via Wikimedia Commons
- インド帝国
次に、西アジアのイスラーム諸国についても見ていきたいと思います。エジプトはオスマン帝国の支配を受けていましたが、ムハンマド=アリーによって実質的にエジプトを独立させることに成功しました。また、この後にはフランス人のレセップスによってスエズ運河が開通し、イギリスのディズレーリ内閣の時にはイギリスがスエズ運河の株を買収し、スエズ運河の経営を支配することができました。
一方で、国内ではウラービーという軍人によってウラービーの反乱が起こり自由主義的な統治を求めて蜂起しますが、かえってイギリスの干渉を招くことになります。
- Auguste Couder, Public domain, via Wikimedia Commons
- ムハンマド=アリー
オスマン帝国内でも、スルタンのアブデュルメジト1世によってタンジマートといわれる改革が行われます。アブデュルメジト1世のあとに即位したアブデュルハミト2世のときには宰相のミドハト=パシャが改革路線を継承し、アジアで初めての憲法であるミドハト憲法を施行しますが、露土戦争を理由にアブデュルハミト2世が憲法を停止してしましました。
確認問題
波線部を、PCであればカーソルを合わせる、スマートフォンであればタップすることで答えが表示されます。
- インド帝国では、イギリスは分割統治によってインド統治を行なった。
- 東南アジアで独立を維持できたのはタイのみである。